第3回「大人の遠足」開催報告

 去る2025年6月21日土曜日、第3回大人の遠足を実施しましたのでご報告致します。
今回は私たちの第2の故郷日吉にやって参りました。第2次世界大戦時に作られた地下壕の見学です。当日は会員のご家族も含め13名の参加がありました。勝手に入ることができない施設である為日吉台地下壕保存会が定期的に実施している見学会に寮和会の枠を取って頂いての実施で、寮和会メンバーも含めて約50名が参加されました。
 13時頃日吉駅に集合後、全員で過去生協食堂等が入っていた校舎に移動、保存会の方から地下壕の概要についての説明がありました。ざっと話しますと、連合艦隊司令部は本来は艦船の中にあるのですが、ミッドウェー海戦で多くの艦船を失った為司令部は陸に上がることになり、数か所の候補があったようですが横須賀方面までの見渡しが良い、寄宿舎の部屋が個室となっており艦船の中の住環境と似ているといった点で日吉が選ばれたようです。今の慶應義塾高校の校舎には軍令部が置かれたとのことです。地下壕の入口は慶應義塾高校のグランド裏を少し降りて行ったところにあります。外の気温は30度を少し上回る暑い日でしたが、中に入ると約18度でヒンヤリとしてとても気持ちが良かったです。入ると下り坂がしばらく続きます。更に奥に入り、機械室、通風室がある通路を抜けると大きなスペースの部屋が幾つかあります。作戦会議室や通信室があったとのことです。この辺りは寮の前庭の大きな木が生えているところの真下辺りだと思います。一番奥には司令長官室があり、唯一地下壕の中では畳がしかれていたとのこと。その横には封鎖されていますが、寄宿舎の中寮と南寮の間に出る階段の入口がありました。
 地下壕見学後は全員で寄宿舎まで移動しました。途中テニスコート脇にマッシュルームのような石を積み上げたものがありますが、あれは地下壕で空気を取り入れる部分との説明がありました。恥ずかしながら私は弥生時代の住居跡の一部かと学生時代から思っていました。寄宿舎の前では地下壕の出入口のおおよその位置の説明、南寮は司令長官を始めとした上級士官の宿舎として使われたこと、中寮はそれ以下の下士官の宿舎であり食堂は作戦会議室として使われたとの説明がありました。戦艦大和の最後の出撃命令もここから出されたのかもしれません。参加された方々はどのような感想を持たれましたでしょうか。私が学生の時には寄宿舎が過去海軍や米軍に接収されていたらしいという話を聞いたことがありましたが、誰も詳しいことを知っている者はいませんでした。上述したような寄宿舎が辿った歴史を知っていればもう少し丁寧に使って、住んでいることにプライドを感じたのではないかなと思う次第です。こういったことをこれから寄宿舎で生活をする学生の方たちに語りついでいくのも寮和会の一つの仕事だろうと思いますので次期幹部となる方たちには考えてみて頂きたいと思います。参加された方々の感想を少し、「歴史ある寄宿舎に住んでいたことは誇りです。あの場所は自分にとって本当に大切な場所だと改めて思いました」、「地下壕を一度は見てみたいとずっと思っていましたので、とても嬉しい見学会でした」、「今度は娘も連れて伺いたいです」、「毎日の猛暑、地下壕ですずみたい」
本稿執筆中間もなく終戦記念日です。今年は終戦80周年の節目の年。寄宿舎の大先輩の中にはご自分の意思とは関係なく、20歳そこそこで帰らぬ人となられた方が少なからずいらっしゃるものと思います。それらの方たちを思いつつ………… 合掌
 
[ご参考] 日吉台地下壕保存会では毎月平日1回、土曜日1回一般向けの地下壕見学会を実施しています。ご興味のある方は「日吉台地下壕保存会」で検索してみて下さい。但し、申し込んでも参加できるのは3~6か月後になるものと思います。